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*これは管楽器とヒトの雑誌「PIPERSパイパーズ」by杉原書店に連載中のエッセイから過去のナンバー
(初回2000年9月号〜2005年9月号) を同紙の許可を得てここに連載しています。

第32回
(パイパーズ/(2003年5月号第261号)
  ダニエル・デファイエ

   私はうまく皮肉や厭味というものを言う事が出来ない。けっして自分の性格が良いからだと言っているのではない。何度となく、ここで皮肉や厭味が言えたらどんなにいいだろう、と思ったことがある。が、うまい言葉が出てこないから、ただアホづらしているしかないことが多い。頭が2回転3回転も回らないのだ。頭が回らないので、皮肉を言われている事にも気付かず、「ああそうなんですかァ」とアホづらして聞いている。何日かしてそれに気付いて悔しさにもんどりうったりしていることがある。  フランス人というのは往々にして皮肉屋でいじわるである。それをウィットとかペーソスなどという言葉に置き換え、フランス音楽には必要不可欠な要素だと理解し始めたのは、ごく最近であった。そんなフランス人の文化に初めて触れたのは、大学3年のころ受けた、デファイエ氏の公開レッスンでの事であった。パリ国立高等音楽院の教授であり、名実共にクラシックサクソフォンの頂点に君臨している氏が、夏に清里で講習会を開くという。そのうえ、自分が参加しようと思っていた秋に行われる日本管打楽器コンクールの審査員としても来日すると聞いていたので、いそいそと出かけた。  その頃はまだ大学受験の課題曲とコンクールの課題曲しかさらったことのないような、ただひたすら練習してるだけの青い大学生であった。若い血潮を歌い上げ、性欲なんだかパッションなんだかわかんないような演奏を意気揚々としていたと思う。ウィット溢れる洒脱なフランス人の手にかかったら突っ込むところだらけであったろう。  案の定、デファイエ氏の口から名台詞がいくつも飛び出した。「君はなんでそんなに牛みたいに吹くんだね?」「しばらくひもでしばって練習した方がいい」「それじゃあまるでアンポンタン(!!) だよ」etc……(ちなみにアンポンタンとはフランス語で操り人形の事だったが、日本語のあんぽんたんと言われているようにしか思えなかった)しまいには通訳の武藤賢一郎氏が「ごめん、もうあまりにもかわいそうで通訳出来ない……」とまで言ってしまうほどだった。  それでも皮肉を言われている事にもおおかた気付かないあんぽんたんな私は「ああそうかもしれない」と素直にデファイエの音楽に耳を傾けた。自分のまったく知らない世界だ。とにかくシンプルである。何もやっていないように見える。なのに完成されている。はっきりいって、すごくいいのである。その数回のレッスンではそれが一体どう言う事なのか、完全に理解するまでにはいたらなかった。ただもうなんだか恥ずかしかった。  コンクールでは運良く優勝したものの、デファイエ氏は私に最低の評価を下していたらしかった。それでも講評をもらいたくて聞きに行くと、数日後に自分のコンサートがあるから、それに来たら教えてくれると言う。その通りその日楽屋を訪ねると「講評を書いた紙を忘れた」と一言言われ、結局聞けずじまいだった。  その後私はパリに留学し、引退したデファイエ氏の後任の教授ドラングル先生についてフランスには4年滞在した。日々ウィットとペーソスのフランス文化につかり、フランス人にフランス語で皮肉らしきものの一つも言えるようになった頃には、あの時のデファイエ氏の言葉と音楽を理解しかけていた。  そんなある日、レオポルトベランコンクールという小さなコンクールの審査員の仕事を依頼された事があった。滅多にできる経験でも無いのでドキドキしながら行って審査員席に座っていると、向こうからゆっくりな足取りで見た顔がやって来た。デファイエ氏であった。おそらく私の事は覚えて無かったと思うが、「ボンジュール」と皆に一言いったきり審査員長席に座ったままだった。複雑な心境でこちらからも特に話しかけなかった。「あの時の講評を教えていただけますか?」と皮肉の一つも言ってみたら良かったかも知れない。「コンクールが違うから、講評用紙は持って来てないよ」とでも言ってくれたかも知れない。  結局これがデファイエ氏を見る最後になってしまった。昨年の暮、ドラングル先生から訃報のメールが届いた。おととしのM・ミュール氏の訃報からちょうど一年だった。「僕は師ミュールの言葉をそのまま伝えてるだけなんだ」という言葉が頭をよぎった。すぐに一世を風靡したあの「デファイエサクソフォンカルテット」のCDをひっぱりだして聞いてみた。時代も変わり、スタイルも変わってる今もなお、色褪せる事のない名人的な技量とまさに「生っ粋」と呼ぶに相応しい仏人的エスプリがリアルにそこから聞こえてきた。この音楽がフランス人であった氏の全てを語っている。長い年月かかってやっと今理解出来た。  考えてみればあの時のあの態度が私に対する最大の講評であって、最大の氏の優しさだったのかも知れないなと思い、あの時隣に座った氏の年老いた横顔を思い浮かべていた。

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